「当たるも八卦、当たらぬも八卦」とは?
- 北林陽児
- 7月4日
- 読了時間: 4分
さて、いよいよ7月5日が近づいてきましたね。
前回、前々回は、特異な身体感覚から近い将来について予感や予知ができること、そしてその身体感覚を消去することによって、その予感や予知を未然に防ぐことが可能だと述べてきました。
まあ、とは言え、その話は、私個人の話であって、社会を揺るがすような天変地異が起きるという類の予言とは、かなり隔たりがあるような気がしますね。
でもそのような大きな予言と、個人的な予感・予知とは、同じ仕組みによって起きていると言えます。
同じ仕組みとは、無意識にある情報を感じることによって予感・予知が起きて、その情報を無意識から意識へと上げることによって未然に防ぐことができるということです。
ただし、個人的な予感・予知は、個人的な無意識の情報が対象となっているのに対して、社会的な予感・予知は集合的無意識の情報が対象となっているわけです。
無意識にある情報に気づくというのは、まあまあ難しいことで、だからこそ、それをお手伝いする心理療法が仕事として成立するわけです。
さらに、集合的無意識にある情報に気づくというのは、なおさら難しいことで、もしも、そういうことが自由自在にできるのであれば、心理療法家というよりは、シャーマンとか予言者というような類にカテゴライズされるわけですね。
ちなみに、今回の7月5日の予言は、予知夢と言う形で予知されています。
私の心理療法では、体感覚と視覚イメージを言語化するのですが、夢も視覚イメージの一種と言ってよいでしょう。
さて、ここまでくると、7月5日には何も起きないという私の考えも、だんだん理解できてくるのではないでしょうか?
予感・予知を未然に防ぐ方法は、無意識の情報を意識に上げることだと述べましたね。
これは、個人的な無意識だけでなく、集合的無意識においても同じことが言えます。
つまり、集合的無意識において、大地震を引き起こすような情報があったとして、その情報を意識に上げることができれば、その大地震は起きないということを意味しています。
今回の7月5日の予言については、すでにかなり大きな話題になっていて、世界的に多くの人々の意識に上がっているわけですね。
これだけ多くの人々の意識にあがり、様々な角度から語られれば、7月5日に何か大きな災害とか戦争とかそういうものが起きるということは、もはやないと言ってよいでしょう。
この話の皮肉な点は、誰か予言者がいて、その予言者が何かを予言すると、その予言が実現する可能性は下がることを意味している点です。
そして、その予言について知って、考えたり、感じたりする人が多ければ多いほど、その予言の実現可能性は下がっていくのです。
これは、いわゆる2重スリット実験で証明されている「観察者効果」に近い考え方です。
観察すること自体が、実験結果に影響を及ぼすという例のアレですね。
予言においても、集合的無意識を観察することによって、その内容に変化が生じて、これから起きる未来に影響を与えるわけです。
だったら予言なんて無意味だってことじゃないか!と思うわけですが、それはむしろ逆だといえます。
何故ならば、予言というものは、未来を知るだけでなく、未来を変える力があるということだからです。
つまり、予言そのものが、未来の大問題が起きることを未然に防ぐことができるということだからです。
こんな有益なことはないでしょう。
まあ、そんなこんなで、今話題の7月5日の予言に関する、個人的な考えを述べてみました。
ま、結局のところ、何を言っているかと言うと、予感・予知・予言というものは未来を言い当てることもできるが、同時に自らその実現可能性を下げる効果もあるということです。
これを平たくいえば、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ってことですね笑
まあ、なんか長々と色々と書いてきましたが、極めて平凡な結論へと至りましたね笑
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