イメージで心を視覚化する
- 北林陽児
- 5月18日
- 読了時間: 4分
前回は、
体のチカラを抜くことについて
書きましたね。
今日は話を前に進めて、
イメージの話をしましょう。
ことばにする®は、
閉眼イメージ療法です。
これは、目を閉じてイメージをして、
イメージを観察することによって、
自分の心と向き合うスキルです。
前々回くらいで、
外界を遮断した状態での体験は、
全て心が作り出したものであり、
自分の心そのものだと、
書きました。
ということは実は、
「自分の心と向き合う」ことは、
「目を閉じてイメージをして、
それを良く観察すること」で、
誰でも簡単に今すぐできるのです。
ただしかし、
ここでイメージとは何か?
という話をしておきましょう。
イメージというのは、
「現実での物理的体験をせずに、
心の中でおきる仮想的な体験」です。
なお、イメージには2種類あって、
瞼の裏に浮かび上がる視覚イメージと、
体の感覚として感じる体感イメージがあります。
ここで体感というのは、
ワクワクするとか、モヤモヤするとか、
痛いとか、苦しいとか、
そのような感覚のことです。
目を瞑った状態で、
物理的には何もしていないのに、
視覚的に見えたり、
体感的に感じたりできることがイメージです。
例えば、
物理的には見てもいないし、
食べてもいないのに、
レモンを想像しただけで、
唾液が湧くようなことも、
イメージと言えるでしょう。
視覚イメージおよび体感イメージは、
100%自分の内部で作り出されるものであり、
外的世界には何もないわけですから、
それを作り出しているのは「心」しかありません。
あるいは、
心そのもの、もしくは心の一部が、
表現されたものがイメージと言えるでしょう。
従って、イメージを良く観察することは、
すなわち心と向き合うことになるわけです。
ただし、ここでの注意点は、
意図的にイメージを作らないことです。
意図的に作ったイメージは、
自分の意識による捏造であり、
心の表現ではありません。
現実生活においても、
心はコントロールが難しいもので、
意図とか意志とか理性とは関係なく、
自由奔放に様々な感情を
湧き上がらせるものです。
これと同じで、
イメージの世界においても、
意図とか意志とか理性に基づいて、
頭で考えた都合の良いイメージを
作っては意味がありません。
心に任せて、心の赴くままに、自由奔放に、
イメージを自然と湧き上がらせることが
大切です。
自然と湧き上がるイメージこそ、
「ありのままの心」の表現です。
逆に、意図や意志や理性によって
捏造されたイメージは、
例えば、親に強制されて
嫌々勉強させられている
子供のようなもので、
ありのままの自分の心は、
表現されていません。
では、どうしたらそのように
自然なイメージを湧き上がらせることが
できるでしょうか?
それは、前回、前々回に書いたことです。
体のチカラを抜いて、外界を遮断して、
内的世界へと意識を向けることです。
実は、これは瞑想のようなことです。
瞑想すると、
内的世界に向き合うことができます。
ただし、マインドフルネスのような
一般的な瞑想では、
その状態を維持しておしまいです。
しかし、ことばにする®では、
そこから、イメージを用いることで、
もっと個別具体的に心と向き合うのです。
つまり、ことばにする®では、
瞑想は単なる準備運動にすぎず、
スタートラインに立った段階です。
今日は、
ちょっと抽象的な話が多かったですね。
具体的な例などを用いて、
分かりやすく書くことに
努めてはいるのですが、
心の話というのは、
気を抜くとすぐ抽象的になりますね。
今日は、これくらいにしましょう。
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