再現性よりも重要なことは?
- 北林陽児
- 5月18日
- 読了時間: 6分
さて、今日は、
心理学の再現性の危機について
「まあ、いいんじゃない?」
と思う第2の理由の話ですね。
これは簡潔に言ってしまうと、
「心理学ってそういうものでしょ」
ということです。
心理学が、科学的態度をもって研究し、
科学的であろうと努力することは
良いと思います。
しかし、努力することと、
本当に科学になれるかどうかは別問題です。
科学的でありたいと願っているけれども、
科学になりきれない、
科学ワナビーな学問というものは沢山あります。
私自身は大学では、
経済学を学びましたが、
1年生の最初の頃に教授が、
「経済学は科学なのだ」と
熱弁をふるっているのを見て、
滑稽な人だな、
滑稽な場所だなと思った記憶があります。
本当に純粋な科学、ハードサイエンス、
例えば物理学の教授が、
「物理は科学だ」と
熱弁するとは思いません。
熱弁をふるえばふるうほど、
ウソっぽく見えますし、
本人も心の奥では疑っているからこそ
熱弁をふるってしまうのです。
それと同様に、
心理学がハードサイエンスでないことなど、
自明の理だと元々分かっていることだから、
再現性が薄いと改めて言われても、
「まあ、そうだろうね。」
と思うということです。
だからこそ実際に、
正式な実験で再現性が却下された
プライミング効果が、
『水曜日のダウンタウン』では
再現されてしまうという珍妙なことも、
起きてしまうわけです。
では、どうして心理学が
ハードサイエンスになれないかと言えば、
科学は、
客観的に観察可能な対象のみを
扱うという大前提があるからです。
心とは、主観そのもののことですから、
その時点で、
科学の対象とはならないとうか、
シンプルに、
水と油とも言うべき関係性にあります。
もちろん、心理学を学んだ人は、
行動主義とか、統計とか、バイオマーカーなど、
客観性を担保しているのだと
主張すると思いますが、
「まあ、しかしねw」という感じです。
裸の王様にパンツをはかせた程度の話
だと思っています。
心の世界はもっともっと深いのです。
さて、心理学の科学性に対して
厳しく書いてしまいました。
では、どうして私が
そのように書くかと言えば、
「別に科学性が全てではないし、
科学性が低くても価値は減じない」
と考えいるからです。
科学性の低い学問、
科学ワナビーな学問なんて
他にも沢山あります。
理系の中で最も科学性が低いと言われるのは
医学ですが、
医学が人類に貢献していることは、
言うまでもありません。
人間が、自分自身の心に対して
強い関心を持つことも当然であり、
研究したくなるのも当然です。
医学と同様に、心理学や、
心理学に基礎を置く心理療法が、
人類に貢献できることも
言うまでもありません。
個人的見解をまとめると、
心理学が、科学的態度を持って
「科学的」であろうとする努力は
良いと思いますが、
要件を完全に満たした「科学」
になることは元々、無理でしょ。
でも、それを認めたからと言って、
学問としての価値は減じないでしょ。
ということです。
これは私自身についても同じで、
私自身の心理療法を、
誰でも再現できるかと言うと、
必ずしもそうではありません。
厳密な意味での再現性は低いでしょう。
従って、私の心理療法が科学か?
と問われれば、別に科学ではありません。
しかし、同時に、
私が効果を出せることは、
言うまでもありません。
私の価値や自信が揺らぐ
ということは別にありません。
むしろ、
誰にでも簡単には再現できないからこそ、
仕事の依頼をいただける、
つまり価値があるのです。
私の心理療法、あるいは私自身は、
科学ではなくて、ギフトなのです。
このことは、もちろん、
私に限った話ではありません。
実は、全ての人々に同じことが言えます。
「科学」を「理想」
「科学ワナビー」を「現実の自分」に
置き換えてみると、
心の問題の本質と同じだからです。
私たちは、心の中に理想の姿を持っていて、
その理想に捉われ、拘り、執着します。
そして、その裏側です。
現実の自分を、無視や否定することとなります。
その無視や否定が、心の問題となって、
あなたを苦しめます。
そして、心の問題を解決する方法は、
現実の自分を受け入れるということです。
そして、
理想と違う現実を受け入れたからと言って、
自分の価値が揺らぐことはありません。
理想に及ばぬ現実を受け入れてしまっては
ダメだと思ってしまいがちですが、
ダメにはあることはありえません。
ただし、
現実を受け入れるには勇気が必要です。
私も、皆さんに向かって、
「私は科学ではない」と言い切るには、
それなりの勇気が必要です。
しかし、まあ大丈夫なのです。
心理学という学問も6割もの論文が
否定されたのに、何事もなかったように、
存続しています。
騒いでいるのは心理学者だけで、
一般の人々は、
そんなトピックがあること自体知りません。
それと同様に、
現実の自分を受け入れることに
抵抗するのは、実は自分ただ1人で、
他人は何とも思うことなく、
これまでどおり接してくれます。
つまり、あなたの価値は減じない
ということです。
さて、長い文章になりましたね。
「科学でなければならない」とか
「理想の自分でなければならない」とか、
そんなことに拘るよりも、
現実の自分、ありのままの自分を、
認めてしまえば良いよ。
という話でした。
何故ならば、
あなた自身、あなたの人生を、
他人が再現することは
絶対的に不可能だからです。
そういう意味では、
再現性などどうでも良い話です。
つまり、あなたという存在は、
科学ではなく、
ギフトだということです。
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