強すぎるコンプレックスは本末転倒
コンプレックスが強すぎて、 もう克服する気力もないくらい辛くなることがあります。
本来コンプレックスは向上心の裏返しであって、 もっとキレイになりたい、もっと幸せになりたい、 という願いの裏返しです。
ところが、コンプレックスが強すぎて無気力になって、 「何をしてもキレイになれない、幸せになれない」 と思うようになってしまっては本末転倒です。
コンプレックスは、あなたが幸せになる努力をするために、 「アメとムチ」のムチとして働いてくれるものです。 そういう意味ではコンプレックスも大切な心理資源です。
しかし、アメとムチは両方あるからこそ有効なもので、 アメないで、延々とムチ打たれていては、 つらいだけで、やがて無気力になってしまいます。
努力できなくなる「学習性無気力」
やってもやってもムチで打たれるという状況の中で、 無気力に陥ってヤル気を失ってしまうことを、 心理学用語で「学習性無気力」と言います。
努力しても努力しても状況を改善できないと、 やがて努力をする気力を失って、 辛い状況に甘んじるだけになってしまうのです。
努力を継続するためには、 「努力をすると良いことがある」と体験する必要があります。 これが「アメ」と呼ばれるものですね。
だから例えば、顔にコンプレックスがあったとして、 それを克服するための努力をしたときに、 褒めてもらうとか、ご褒美をもらうとか、 そういうアメが必要なのです。
学習性無気力を脱するためには
コンプレックスとは、しばしば付き合いが長くなりがちです。 思春期に持ち始めて、40歳、50歳になっても・・・ という方もよくいらっしゃいます。
付き合いが長いほど、学習性無気力になりがちでもあります。 完全に無気力というほどではないものの、 心のどこかには無気力が救っているケースも多いです。
そういう場合には、 そのような無気力を認めてしまうことが大切です。 コンプレックスとの長年の付き合いの中では、 心の奥で様々な思いを抱いてきたはずです。
無気力、悲しみ、怒り、恐れ、、、 様々な感情が心の奥深くに沈殿しているはずです。 そのような気持ちを一つ一つ見つけ出して、 認めていくのです。
そうすると、そういう気持ちが成仏してゆきます。 そのような現象のことを「浄化」と言ったりします。
成仏とか浄化とか、オカルトめいてしまって恐縮なのですが、 本当に心が軽く爽やかになって、呪いが解けたように感じます。 実際、浄化という言葉は立派な心理学用語で、 フロイトが使った「カタルシス」の日本語訳です。
コンプレックスの浄化
コンプレックスについて十分な浄化が起きると、 軽くなるとかスッキリするといった体感的な変化だけでなく、 自分の中の考え方として、コンプレックスがなくなります。
例えば「目の形がおかしい」と思っていたはずなのに、 全くそう思わなくなって、1週間とか10日もすると、 そういうコンプレックスを持っていたこと自体を忘れるとか、 実感が湧かないというような気持ちになります。
最初に書いたように、 コンプレックスは、あなたが幸せになるための心理資源です。 しかし、学習性無気力でマイナス効果しかないならば、 解放されてしまったほうがよいかもしれませんね。
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