前回は、私自身のこととして、人の悪いところを厳しく指摘するクセを世代間伝達していたという話を書いてみました。
そして、最終的にはそれとは真逆の方向にいって、無条件に受容する心理療法に取組んでいると話しましたね。
これは、自分の負の側面を克服しようとする中で、何かを獲得するという、成長のプロセスだったと言えます。
実は、これは多くの人によくある現象で、苦手なことや、コンプレックスなどの自分の負の側面を、克服しようとする努力によって、成長したり人格を形成できたということは、普遍的にあることです。
このような現象のことがどうして起きるかと言うと、自分自身の負の側面に対する感情は、実は大きなエネルギーになるからです。
「自分にはできない、劣っている」と思うからこそ、「できるようになりたい、優れたい」という心のエネルギーが生まれて、努力ができるわけですね。
そして、それは「できない、劣っている」という気持ちが強ければ強いほど、克服したいというエネルギーも強くなります。
この現象はいわゆる「陰陽の分離」と言われるもので、人の心の中には必ず相反する真逆の気持ちが拮抗して存在しています。
「できない、劣っている」という気持ちが強くあるからこそ、拮抗するくらいの強さで「できるようになりたい、優れたい」というような気持ちが生まれるのです。
そして、その相反する気持ちは両者が拮抗することによってバランスを保ちますから、片方が強まると、もう片方も強まります。
しかし、その両者が強くなりすぎると、心の中の葛藤も大きくなって、苦しくなってしまうという問題も生じてくるわけですね。
じゃあ、どうしたら良いのでしょうか?
それは、相反する両方の気持ち、つまり「矛盾した気持ちが両方ある」ということを認めて、両者を受け入れることが大切です。
特に、片方の気持ちだけが注目されていて、もう片方が押し隠されている場合には、押し隠されている方を認めることが大切です。
ともあれ、両方の気持ちを受け入れると、今度は逆に、両方が拮抗するようにして弱まって収まってゆきます。
もしあなたが、苦しみを感じているならば、そのようにして楽になることは一つの方法です。
また同時に、そのようにして楽にすることは私が心理療法家として得意とすることで、楽にして差し上げることは全く難しいことではありません。
しかし一方で、最近思うことは、その苦しみもまた成長のエネルギーであるし、人生の1つのプロセスとして大切なのではないか、ということです。
今現在、苦しんでいる人に向かって「その苦しみにも意味がある」と言うのは、失礼な気もしますし、かつての私がそう言われたら怒っていたと思います。
しかし、「その苦しみにも意味がある」と考えることこそ、その苦しみを受容することとも言えます。
つまり、その苦しみは受容されることによって、消え去って楽になるという逆説的現象も起こるのです。
今日は何やら、まとまりのない不思議な話になってしまいましたね。
とりあえず、あらゆる苦しみは、受容することによって楽になるということだけ覚えておいていただければと思います。
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