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鏡の法則:与えることで、与えられる

  • 執筆者の写真: 北林陽児
    北林陽児
  • 11月4日
  • 読了時間: 4分

今住んでいるところには、体重計がないのですが、月に一回病院に行くので、そこで体重を計っています。


宮古島に来たのが7月24日で、3.5か月ほど経ったわけですが、その間に体重は5キロ落ちました。


体を全く動かさない生活から、突如として肉体労働を始めたので、その効果というのが、まずは大きいでしょう。


宮古島に来た理由の一つは、ジムなどにお金を払って運動するよりも、肉体労働でお金をもらって運動した方が、合理的かつ効果的なのではないか・・・と言うことがありました。




ただ、実は5キロのうち半分くらいは10月に落ちたもので、もっと言えば「多くの人に喜びを与える」という書き込みをしてからです。


この書き込みが効果絶大な理由は、鏡の法則によるものです。


私が「多くの人に喜びを与える」と思っているということは、それが周囲に投影されるので、「北林に喜びを与える」と思っている人々が次々に現れることを意味しています。


先日は、子供に手を振られたり、「輝いていますね」とか言われると書きましたが、全てそういう仕組みで起きていると考えています。


私が「喜びを与える」と考えているので、人々も「喜びを与える」と考えて、手を振ったり、私が嬉しいことを言ったりしてくれるわけです。


そうすると、私は日々多くの人々から喜びを受け取ることになるわけですから、当然、心の中は満たされた状態、エネルギーが満ち満ちた状態が維持されます。


すると、もはや食事から喜びやエネルギーを摂る必要性が薄くなってきて、意図せずともいつの間にか食事量が減っていて、毎朝体を見ると少しずつ小さくなっていることが分かるのです。


これが逆に、私が「受け取ること」ばかり考えていると、周囲の人々も受け取ることばかりを考えだして、私から喜びやエネルギーを奪っていく、と言うかお互いに奪い合う状態になってしまいます。


故に、私は常に喜びやエネルギーが不足した状態になって、なんらかの方法で補う必要が生じるので、食べることで補っていた・・・ということなのだと理解しています。


ポイントは、このような与えあうことや、奪い合うということが、現実世界だけではなくて、精神世界においても行われているということです。


人と人の心は繋がっているというような話を書くことがありますが、現実世界において手を振るような物理的行動を取るまでもなく、喜びやエネルギをー与え合うという行動が精神世界において行われていることが感じられます。


それは、誰かと会った瞬間に起きることもあれば、眠っている間に遠くにいる人との間においても起きているような感じがします。




まあ、ともあれ、重要なポイントは、「与える」ということを心の中にガッツリと書き込むこと、そして「与える」とは逆の思考や感情を消すことです。


ということで、この「与える」という書き込みをさらに進めていっているのですが、「何を与えれば良いのか・・・」と考えたときに、それはやっぱり「愛」っていうことか・・・と思って試してみました。


すると、これがまあ、難しい・・・。


書き込みはできるのですが、陰陽の分離が激しいというか、逆方向の気持ちが次から次へと出てきて、私を苦しめてきます。


私自身が逆方向の気持ちに苛まれているということは、鏡の法則で、周囲の人々も苦しみだして、その苦しみを受け取っては浄化して・・・ということを延々と繰り返しています。


自分の中の気持ちを消しても、人に会うとその人の中の気持ちを受け取ってしまうので、それを消し込む必要が生じるのです。


「愛憎」という言葉があるくらいのことで、愛を書き込むためには、憎しみと向き合わなければならないというか・・・。


それは、自分自身の醜さに出会うことであると同時に、人々の醜さを受け入れて、自分の中で消化していくようなことで、これは結構大変な作業です。


まあ、その中で様々な気づきがあって、気づきを得る度に自分が変化していくというか、成長していく感覚を得ることができるので、その気づきをメルマガに書きたいと思っているのですが、今日はこれくらいにしましょう。

 
 
 

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