自己肯定感で容姿が変わる2つの要因
前回のブログでは、自己肯定感を高めると容姿が変化することを書きましたね。
その変化は、①表情などの物理的な変化 ②心理的な見え方の変化 の2つがあるということを説明しました。
しかし、②心理的な見えに方の変化というのは、「目の錯覚」ということではないのかという考え方もあるだろうと述べました。
これは、本当に視覚的な錯覚ということで片づけられるかというと、実は錯覚で片づけるのは難しいと思います。
心理的な見え方の変化は、第3者にも生じる。
まず、自己肯定感セッションによって、自分自身を肯定的に捉えらえるようになると、それに伴って容姿も肯定的に(美しく)見えるようになります。
この「自己肯定感の高まり」と「見え方の変化」はセッションを受けたクライエントに生じるものですね。
ところが、興味深いことに、その見え方の変化は、セッションを行っている私(北林陽児)
にも同時に生じます。というか、先に気づくのは私です。
クライエントは目を閉じて私のセラピーを受けるのですが、セラピーが終わって目を開けると、「(視界が)明るい」「クリア」「広い」「世界が違って見える」などとおっしゃることがあります。
そして、それと同時に、目が大きく開いていることや、全体的な容姿が美しく変化していることに私が気づいて、本人にお伝えするわけです。
当然ながら、自己肯定感が高まったのはクライエントですし、私が恋に落ちたわけでもありません。
それでも、クライエント本人の心の中で自己肯定感が高まると、その高まりが私に伝わってきて、私自身もクライエントのことをより肯定的に捉えるようになって、容姿も美しく見えるという現象が生じるのです。
その後さらに、クライエント本人と私の共通の知人、つまり第三者から、「クライエントが最近キレイになった」とか「自信をつけたみたい」などと言われることもあります。
なぜこのようなことが起きてくるかと言うと、人が心の中で感じていることは、知らないうちに他人の心へと伝わっているからです。
クライエント本人の心の中で自己肯定感が高まると、それが第三者にも伝わって、クライエントを肯定的に捉えるようになり、容姿も肯定的(美しく)見えるという現象が生じるわけです。
「目の錯覚」との違い
これは「目の錯覚」とは大きく違う現象ということできます。
目の錯覚という現象は、例えば2本の同じ長さの線があって、その長さが違って見えるようなことを言います。
ここで、「同じ長さ」は、定規などで客観的に測定することが可能ですが、「美しさ」は客観的には測定できない「主観的な感覚」です。
しかし、主観的感覚も、第三者が同じように感じると同意が得られるのであれば、ある程度の客観性があると言えます。
こうなってくると、自己肯定感の高まりで美しくなるという現象を、「目の錯覚」で片づけることは難しくなってきます。
「容姿の美しさは、心の美しさで作られる」という本質的な議論
さて、自己肯定感と容姿の関係性について、2回に渡って語ってしまいましたね。
つい、理詰めで難しく説明してしまったのですが、もっと簡単に説明することもできます。
要するに、自己肯定感が高まると「全体としての雰囲気が美しくなる」のです。
たまに、体形や服装やメイクが変わったわけでもなさそうなのに、「あれ?この人キレイになったな」と感じることはないでしょうか?
それは、物理的な変化と言うよりも、心の中が変化して、全体としての雰囲気がキレイになっているわけです。
そして全体的雰囲気がキレイになると、それが物理的な見え方にも影響して美人にみえるのです。
そういうようなことを、「内側からの美しさ」とか「心からの美しさ」とか言ったりします。
要するに、「容姿の美しさは、心の美しさで作られる」という美容の本質へと至るわけですね。
こうなってくると、そもそもの話として、美人とは何か?という議論になってきて、美人というのは物理的な顔や体の形状にとどまらない概念だよね。という話になってゆきます。
これもまた、さらに面白い話で、そこには自己肯定感が深く関わっています。
しかし、例によって、その話はまた次回にいたしましょう。
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