セッションを受ける躊躇や葛藤
- 北林陽児

- 2023年8月28日
- 読了時間: 3分
前回の記事の中で、クライエントの方は、私のセッションを受けるにあたっては、さまざまな躊躇や葛藤を乗り越えてくるのではないかと書きました。
メンタル系のサポートを受けること自体が初めてという方も多いですし、私は男性ですから女性の場合にはそういう抵抗もあるのかもしれません。
そういった中で、セミナーやセッションで初めてお目にかかる時というのは、針の穴を通すようにして成立した出会いだなと思っています。
というのも私自身が、精神科の病院に行くことや、カウンセリングを受けることが、とても嫌でした。
東芝の上司から、業務時間内に社内にいる産業医にかかるようにと言われていたのですが、それもサボっていたくらいですし、カウンセラーも1,2度行っただけだったりしました。
心療内科からもらった薬も、全然飲みませんでした。
じゃあ、どうするかということで、ひたすら心理療法を研究したわけです。
そのせいで一方で凄まじい時間をかけて遠回りすると同時に、もう一方では特殊なスキルを持つようになれたわけです。
このように、メンタル系のサポートを受けるにあたっては、躊躇したり葛藤したり、抵抗感が強く生じてしまうものなのです。
また、そもそもメンタル系の問題というものは、比較的最近になって直面している問題であっても、その原因は幼少期にある場合がとても多いです。
実は、本当の問題は、その幼少期から始まっているわけで、私のところに来るときにはすでに、20年、30年、40年という時がすでに経過している場合が少なくありません。
私自身も、18歳のときに抱え込んだ問題を解決するには20年ちかい時間を要し、その間かなり不本意な人生を生きていました。
そのように考えると、クライエントの方は、すでに長い長い年月を苦しんで、サポートを受ける躊躇や葛藤も乗り越えて、その末に、私とのセッションに臨んでくださるわけです。
これはもう、私は、「これは長い間大変だったな・・・」とか「よく一人で頑張ってきましたね。」という思いと同時に、「そのプロセスにここでピリオドを打つ」という決意を固めるしかありません。
その長い長いプロセスの最終段階に関われることは私にとって光栄なことではあるのですが、本人にとってはそこに至るまでのプロセスの方がずっと長かったし、重要な意味合いがあるはずです。
また、クライエントが踏んできた長いプロセスがあると同様に、私自身もここに至るまでには長いプロセスがありました。
その2つのプロセスが、何故か偶然にして交差することになって発生したのがクライエントとの出会いだと思います。
そして、「運命」という言葉は、このプロセスのことだと思っていて、そういうプロセスの交差が生じてかつ、クライエントと私の両者が、「このプロセスにピリオドを打つ」という決意を固めた以上、そのピリオドが打たれるのは当然のことなのです。
というか、そういう長い期間を乗り越えて、躊躇や葛藤も乗り越えて、ようやく私のセッションにたどり着いて、「一緒にピリオドを打つ」と決意を固めることができた段階で、すでにあらかた問題は解決されているのではないかとすら、私は思っています。
そこまで期が熟していないと、私の前には現れないし、現れたとしても決意を固めることができないと思うのです。
もちろんクライエントからしたら苦しみの真っただ中という感じだと思うのですが、セラピストである私がそれだけ強い確信をもって運命を信頼することが、良い結果を生み出すためのエッセンスではないかと思っています。


まさしく今、サポートを受けたい気持ちと、躊躇…逡巡しています
オンライン上のコミュニケーションに対するハードルもあります
プロセスの交差、一緒にピリオドを打つという言葉が、心に届いています
わたしのことを書いてくださった、と勝手に思っておきます。
運命を信頼する、のですね。
信頼します。運命を、そして自分を。