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幻想から目を覚ます。

  • 執筆者の写真: 北林陽児
    北林陽児
  • 3 日前
  • 読了時間: 3分

この2か月、メルマガを書かずに何をしていたかと言うと、心理療法から少し離れて、もう廃業しようかなとか考えていました。

 

そして、改めて執着を手放すとか、ありのままの自分を受容するというのは、難しいというか、痛みを伴うものだなと思ったりしていました。

 

 

 

と言うのも、私には、どうしても手放すことのできない執着が1つありました。

 

それが、心理療法に対する執着でした。

 

私が心理療法にかけてきた時間は余りにも莫大でして、心理療法以外には特に何もできないし、かといって、心理療法で大した成功もしていません。

 

従って、自分自身の価値とか、人生に意義を見出すためには、心理療法の価値とか意義を

主張し、証明し、成功する必要がありました。

 

自分自身を証明するためには、心理療法を証明しなければならないという執着心を強く持っていたわけです。

 

逆に言えば、それを手放すことは、自分には価値や意義がないこと、自分は何もできないこと、自分は何も持っていないこと、そういうようなことを、認めることを意味しています。

 

これを認めることは、大きな痛みを伴うというか、破綻を意味してしまうので、心理療法への執着だけは、手放せなかったのですが、昨年の12月にそれに取り組んでいました。

 

そうして無事、手放してしまうと、もう廃業しようか・・・とか、このまま居酒屋の人になるか・・・とか、そのほうが色々楽なんじゃないかとか、考えることも可能になってきました。

 

同時に、なんかどんどん心が軽くなっていって、楽な感じになって行くのが分かりました。

 

なんというか、自分の中心的な構造が組み変わっていく感触がありました。

 

価値も意義もない自分とか、何もできない自分とか、何も持っていない自分とか、つまり

ありのままの自分を遂に受け入れたように感じます。

 

言葉で言うのは簡単なことですが、本当に重要な執着を手放すには、痛みを伴うし、随分長い時間がかかったし、本当に難しいことだなと思いました。

 

どうして難しいかと言えば、ありのままの自分を受け入れることは、今の自分、既成事実の自分というか、これまで進展してきた自分自身が、破綻してしまう恐怖があるからです。

 

本当に重要な執着を手放すには、自分を破綻させる覚悟が必要なんだと思いました。

 

しかし、それは恐怖に過ぎず、実際には破綻することはありません。

 

何故ならば、正確には、認める対象は、客観的に「価値や意義がないこと」のではなく、

 

主観的に「『自分がそう思い込んでいること」にすぎないからです。

 

認める対象は、単なる幻想にすぎず認めることで、幻想から目を覚ますことができます。

 

重すぎる執着を肩から下ろすと心が楽になって、解放されて、新しい自分が始まります。

 

そして、年が明けて少し経つと、もっと新しい気持ち、単純で、新しくて、軽やかで、原初的なモチベーションが生まれてきました。

 

そうすると、新しい思考が生まれてきて、これまでとは違うアプローチで、再び取組んでみたくなりました。

 

感触的には、成功を妨げていた心の壁を乗り越えて一皮むけた・・・という感じでしょうか。

 

「心理療法をやらなければいけない」から「心理療法をやりたい」へと変化したと言うのが

分かりやすいかもしれません。

 

1月も下旬になってしまいましたが、そんな感じの12月と1月でした。

 
 
 

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