top of page

書籍紹介『愛するということ』

執筆者の写真: 北林陽児北林陽児

ちょっと記事の期間が空いてしまいましたね。


少しお休みしたら、なんかリフレッシュした感じがしていて、満ち溢れた気持ちです。


さて、今日は久しぶりに書籍の紹介をしましょう。


数年前に話題になったベストセラーなのですが、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』です。









著者のフロムは、フロイトの弟子で、臨床心理学の歴史に名を残した人の一人です。


私もサイコセラピーの仕事をしていると、「愛」というテーマが話題に上ることが、しばしばあるので、私自身も考えることの多いテーマでもあります。


学者が書いた本にしては、読みやすいのが特徴で、そんなに時間をかけずとも読むことができます。


しかし、内容としては結構ハードルが高く、厳しいことが書かれている本でもあります。


冒頭から、「愛するということはとても難易度の高いことであって、愛を手に入れるための小手先のテクニックを紹介するような本ではないから、そういうことを期待している人は読まないでくれ」と釘を刺されるところから始まります。


この本を通じて、何度も語られるメッセージは、「愛とは感情ではなく技術である」と言うことです。


この「技術」という言葉には、「愛とは、偶然の出会いによってある日突然発生する感情ベースの体験ではなく、自分の意志の元に決断を下して行う行動であり、たゆまぬ努力を要するものである」というような意味合いが込められています。


また、様々な映画や小説の中で、Fall in Loveが美しい物、素晴らしい物として語られて、多くの人がそれに憧れるのだけれども、それは愛ではない、別のものだと述べています。


Fall in loveは、日本語では「恋に落ちる」と表現されていて、愛と恋とが言語的に区別されているのですが、英語においては愛も恋もLoveで同一に表現されているので、その話をしていると思われます。


昔、ある人物が、「恋は楽しく嬉しいものだけど、愛することは苦しく厳しく、相手のために自己犠牲が要求される」と言っていたのですが、そういうことですね。


その人は、「恋」とは2人がそれぞれに自分自身の幸福を追求し味わっている状態だけれども、「愛」とは自分を後回しにしてでも相手の幸福を追求することなので、時には自己犠牲的になる。だから愛と恋とは明らかに別種というか、矢印の向きでいうと真逆なんだと述べていました。


恋をすると、脳内で様々な快楽物質が出て、楽しさ、嬉しさ、幸福感を味わうことができて、まさに「落ちる」とか「盲目」といったような感情ベースの特殊な精神状態になることができます。


しかしながら、愛することには、そのような強烈な快楽物質ベースの感情ではなく、自分自身の意志に基づいて、「相手に自分を与える行動」なのだとフロムは述べています。


人類の歴史上、恋愛から結婚するという流れはごく最近のことであって、つい最近までは親が決めた相手と結婚していて、それでキチンと愛が成立していたのは、恋のプロセスを経ずに、意志に基づいて「この人を愛する」と決めたからだと述べています。


確かに、近年の研究でも、離婚率を、恋愛結婚とお見合い結婚で比べると、お見合い結婚のほうが低いことが分かっています。


フロムによると、何故ならば、Fall in Loveのloveは、感情であり、感情は時とともに必ず色あせていくからだと述べています。


出会った当初に熱烈な恋に落ちたとしても、時とともに飽きて現在の関係がつまらないもののように感じて、やがてかつてと同じ感情を求めて他の出会いを探すようになるとしています。


しかし、意志に基づいて決断された愛は、不断の努力によって維持されて、時とともに色あせるということがないと述べています。


むしろ、時をかけて、愛という努力を積み上げれば積み上げるほど、その愛の価値は高まってゆくから、むしろ別れたくなくなるということかもしれませんね。


この話について、私は非常に納得できて、愛のひとつの側面を述べているように思われますね。


日本語においては、愛と恋とは言語的に区別されていて、「愛と恋はどう違うの?」ということは誰もが一度は抱く疑問で、多くの人がなんとなく理解しているテーマであるような気がします。


日本語には優れた側面が多いと思うのですが、その一つだなと思いました。


さて、この本については、語るべきことが非常に多いのですが、今日はこれくらいにしておきましょう。




Comentarios

Obtuvo 0 de 5 estrellas.
Aún no hay calificaciones

Agrega una calificación
bottom of page