「心」というのは、捉えずらくて、それが一体何なのかもよくわからない中で、なんとなく使っている言葉ですね。
しかしながら、何かとても重要で、みんなが興味を持っている。と同時に、しばしば軽視されていて、そんなものよりも客観的現実のほうが優先されることも非常に多い。
例えば、体に不調がある時には病院に行くのが当たり前ですが、心に不調を抱えていても専門家にかかるのは稀で、心のことは軽視して後回しにされる最たる例ですね。
そういうことで、今日は、心という摩訶不思議なものを物理的現実の中でとらえやすいように、「心とはどこにあるのか?」という話をしてみましょう。
よくある話の1つは、心は頭、つまり脳の中にあるのだということ。
それからもう1つには、心は胸の中にあるように表現されることもあります。
結論を言ってしまうと、心と言うものは、頭と胸を含めた、体全体に存在しています。
これは実は、非常に簡単に証明可能なことで、あなたが何かの感情を抱いた時に、体の中を観察してみてください。
なんらかの感情を抱いている時には、必ず何らかの体感覚を感じていて、その体感覚こそ感情なのだということに気づきます。
例えば、胸がモヤモヤするとか、頭の中がグルグルするとか、背中が重いとか、お腹にどんより重い物があるとか、そういう感じの体感覚に気づいたことはありませんか?
そのような体感覚こそ感情の正体ですし、その体感覚を生じさせている体全体に「心」が宿っているというわけです。
頭というか脳の役割は、体の様々な箇所で生じた体感覚を情報処理して、自分の気持ちを理解するプロセスだけを担当しています。
この時、体感覚はあまり明確に意識にのぼることなく、無意識的になくなんとなく感じている一方で、頭で行う情報処理については意識的に行われるため、その部分だけが注目されてしまって、「心は脳の中にある」という議論になるのですが、脳が担当しているのは、ごく一部に過ぎません。
「心は胸にある」という考え方は、様々な体感覚の中でも、心臓の鼓動が物理的に感じやすいことや、モヤモヤやドンヨリなどと言った体感覚が特に胸で頻繁に生じる傾向があるためです。
しかしながら、様々な体感覚は胸だけに生じるものではなく、頭、首、背中、お腹・・・といった体幹だけでもなく、腕、手のひら、足の指先など、あらゆる体の中に生じています。
と言うか、この「体の中」というのも実は間違っていて、体の外に感じられることも別に特別なことではありません。
例えば、「胸の前のあたりに黒いモヤモヤがぐるぐるしている」とか、「頭の周りを黒いモヤがグルグルと覆っている」とか、「肩の上にズッシリ重い物が乗っている」というように、体の外に何らかの存在を感じるということも、当たり前にあることです。
心の感覚の鋭い人は、この話を聞くだけで理解できるでしょうし、聞いただけではわからない人は、何かの最近感じた大きな感情を思い出してみて、思い出すと同時に体の中を観察してみましょう。
メンタルヘルスやメンタルスキルを扱う場合には、心が体全体に宿っているということや、感情の正体は体感覚であることなどを理解し、その感覚を捉えられることが、極めて重要です。
何故ならば、その体感覚を良く感じることが、そのまま心を捉えるということだからです。
普通の人が行っているように、ぼんやりとなんとなく無意識的に体感覚を感じるのではなく、意識的に注目してしっかりと体感覚を観察することで、心を解像度高く捉えることができます。
このことを例えるならば、何か試験問題を解こうとするときに、その問題文をキチンと読むということです。
問題文をキチンと把握してそこにある情報を全て正しく捉えて、その後に回答を考えるというのが当たり前のことで、そうでないとトンチンカンな回答をしてしまうことになります。
私たちがどうしてメンタル問題を抱えるかというと、自分の心を十分に把握せずに、頭で思考を回してしまうからです。
問題文を全て読む前に回答を考え始めたら、正しい回答ができる可能性はかなり下がってしまいます。
ですから、体感覚をよく感じて、自分の気持ちを解像度高く感じて、そのうえで思考するということが大切なのです。
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