ブログを1か月も休んでいる間は、結構余裕があって、本を読んだり、映画を観たりしてのんびりしていました。
そんな中で、印象に残った本があったので紹介します。
『Give and take 与える人こそ成功する時代』で、著書は組織心理学の教授です。
この本では、人間をギバー、テイカー、マッチャーの3種類に分類したうえで、最も成功するのはギバーなのだと述べています。
ギバーとは、受け取ることよりも、与えることを優先する人のこと、
テイカーとは、与えることよりも、受け取ることを優先する人のこと、
マッチャーとは、与えることと受け取ることをバランスさせる人のこと、としています。
ギバーは、喜んで与えるけれども見返りは特に期待しておらず、見返りが何年も先になったり、何もなかったりしても別に構わないそうです。
逆にテイカーは、与えることをできるだけ小さくする一方で、受け取ることはできるだけ大きくしようとするそうです。
この本の中では、最も成功するのはギバーであり、ギバーがどのように成功するかということが様々な事例で紹介されています。
私が思うに、ギバー・テイカー・マッチャーの差異は、内発的動機と外発的動機にあると考えられます。
というのも、3者の違いとは見返りに対する考え方の違いであり、見返りとは外発的動機のことと考えられるからです。
内発的動機と外発的動機とはどちらか片方ではなく、両方が心の中にあって人を動かしていると思うのですが、内発的動機が相対的に濃い人はギバー、外発的動機が相対的に濃い人はテイカーになるのではないか・・・と思います。
内発的動機が濃い人は、まずその行動をとること自体が好きで、ただ行動しただけで内的な報酬が発生します。
その次に、「その行動の相手が喜んでくれること」が外発的動機として機能している可能性もあります。
さらに、「相手が喜んでくれることが嬉しい」という内発的動機も機能しているのではないでしょうか?
そのように考えると、「自分の好きなことをやっているギバー」は1つの行動によって3重の報酬をとっていることになるので、例えばお金のような見返りがなくても行動をとるだけの動機が十分にあるということでしょうね。
また、この本の中で、特に印象に残った言葉は「ギバーにとってgive and take とは、give and given(与え、与えられる)」のことであるという文章でした。
自分が与えたとしても、相手からの見返りは、相手が望むことを、望むときに、望むようにしてくれれば良い、と相手に委ねているというような意味合いと受け取りました。
ここで、先日ブログで紹介したフロムの『愛するということ』を思い出しました。
「人は与えることで喜びを感じることができるので、受け取ることによって、与える喜びを与えることができる」とのことでした。
このことを加味すると、ギバーが見返りを相手に委ねる行動は、「相手が喜んで与えてくれるものを受け取る」ということですから、give and givenにおけるgivenもまた喜びを「与える」行動であると言えます。
つまり、ギバーにとってのgive and takeとは、give and givenであるが、give and given(=give)であり、結局のところgive and giveであると言えます。
そんなギバーが、ある集団に1人いると、その集団の全員にギブが伝播して、みんながギバーとして振舞いだすそうです。
ギバー最強説ですね。
お~、これはなかなかすごい話だなと思って、とても印象に残りました。
ところで一方逆に、テイカーはどうかというと、「テイカーにとってgive and take とは、take and taken(奪い、奪われる)」であると指摘されています。
なかなか含蓄が深い本だなと思っているのですが、残念ながら「では、どうしたらギバーになれるのか?」ということには言及がなくて、そこが残念でもあります。
心理学者というものは、現象の分析までは行いますが、「じゃあ、どうすればそうなれるか?」という実践的な方法が欠けている場合が多いですね。
そこは、心理学者ではなく、心理療法家の出番と言うことでしょうから、次回は、どうやったらそうなれるのか?という話を私なりに書いてみましょう。
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