今日は、私が行っている心理療法ことばにする®は、どのように行うのか、ということを割と細かく紹介しようと思います。
ことばにする®は、目を閉じてイメージをして行う閉眼イメージ療法という部類に入るものです。
イメージには、瞼の裏にみえる視覚的イメージと、体の中の感覚として感じられるイメージとがあります。
まあ、視覚も体感覚も五感ですから、「現実の実体を伴わずに仮想的に感じられる感覚」がイメージであると言ってよいでしょう。
心の問題を解決するにあたって、なぜイメージが役に立つかと言うと、イメージこそ、心の現れ、心そのものであるからです。
特に、目を閉じて外界からの刺激を遮断した状態では、意識で感じられる大部分はイメージ、つまり自分の心によって作り出されたものです。
つまり、瞼の裏というスクリーンに自分自身の心を投影して眺めているものがイメージというものであり、投影されているのは心そのものなわけです。
例えば、「父親」をイメージした時に見えるものは、「現実の父親」ではなく、「心の中の父親像」であり、それは自分の心が作り出したものであり、それは自分自身の心の一部であるわけで、自分の心が映し出されているわけです。
ここで、「自分の心と向き合いましょう」「自分自身を認めましょう」「自分自身を受容しましょう」というような謎の抽象的ワードは、瞼の裏のスクリーンに投影されたイメージを使うことによって具体的なアクティビティとして具体化することができます。
つまり、イメージの中で父親と向き合うということは、「心の中の父親」「自分の心が作り出している父親」「それを作り出している自分の心」「自分の心」と向き合うことに他ならないわけです。
さて、では「向き合う」とはどういうことなのでしょうか?
現実世界において誰かと向き合うと言えば、相手を受け入れ理解し和解することを目的として、コミュニケーションをとるというようなことと思われます。
この時、自分の言い分をぶつけていくよりは、相手の言い分を聞いた方が、受け入れ理解し和解するという目的は達しやすいということは、経験上ご存じではないでしょうか。
これは閉眼イメージで、心の中の対象物と向き合う時も同じことが言えます。
例えば、父親をイメージしたならば、まずは視覚的イメージおよび体感覚をよく観察し、非言語的に相手をよく理解し把握することに努めます。
つまり、イメージで見える父親は笑っているのか?怒っているのか?そして、その時自分自身の体の中は優しく温かくなっているのか?それとも固く冷たく緊張しているのか?ということを観察して、気づきを得るわけです。
その気づいた内容こそ、自分自身が父親に対して持っている心の状態と言えます。
そして、現実の人と向き合うのと同様に、イメージとも会話をしていくわけですが、その際重要なことはこちら側は発話する必要性はほとんどなくて、イメージの相手の話を聞くことが重要です。
これはまるで、カウンセラーが話を聞くように、あるいは大人が子供の話を聞くように行うかのように行います。
すると、イメージの中の人物は、様々なことを語りだしてくれるのですが、語れば語るほどに視覚的イメージに変化が生じてきて、ポジティブな表情や雰囲気へと変わっていきます。
ここで、この視覚的イメージの変化は、そのまま自分の心の変化に対応しています。
視覚的イメージは、瞼の裏と言うスクリーンに映し出した投影ですから、心が変化すれば、投影されるイメージにも変化が生じるわけですね。
なんだか割と唐突に説明が始まって、かつよくわからないことを羅列してしまいましたね。
果たして面白かったか疑問もあるのですが、これはこれで良しとしましょう。
「それはそれでいいんじゃない?」が私の好きな言葉です笑
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