さて、昨日の記事では、正直Aさんと嘘つきBさんの話をしましたね。
それで最終的には、嘘つきBさんも嘘つき100%ではないし、正直Aさんも正直100%ではないですよね。と言う話になっていました。
でも、それだと、嘘つきと正直者の違いが明白ではなくなってしまって、ただの人Aさんとただの人Bさんになってしまいますね。
では、嘘つきと正直者の差異は、一体どこにあるのでしょうか?
まず言えることは、AさんもBさんも、嘘はついてしまいます。
Aさんもいつの間にか嘘をついてしまったり、結果的に嘘になってしまったりと言うことは、日常生活の中で起きてしまうことです。
しかし、正直Aさんは「嘘をついてしまった」と認めることができます。
一方で、嘘つきBさんは、一度ついてしまった嘘の上に、嘘を上塗りして、嘘がどんどん大きくなってゆきます。
なぜ、嘘のうえに嘘を重ねるかと言えば、「嘘をついた」と認めたくない、認めることができないからですね。
ここが、正直者と嘘つきの決定的な差異なわけです。
この嘘つきBさんの行動の問題点は、現実の行動として嘘をついているということもそうですが、それ以上に「嘘をついてやましい気持ち」を心の奥に抑圧してしまうことです。
「やましい気持ち」を抑圧してしまうと、その気持ちが無意識的に発動するようになって、嘘をつくという行動が自動化、つまり自分の意志とは関係なく、息を吐くように嘘をつくようになってしまいます。
こうして、深刻な意味での「嘘つき」が誕生してしまうわけですね。
では、この問題をどう解決するかと言えば、昨日も書きましたが、認めればよいのです。
「自分は嘘つきであること」や「隠し持っているやましい気持ち」などを、すべて正直に認めてしまうのです。
それができれば、息を吐くように嘘をついてしまう自動的な仕組みは解除されます。
でも、普通の人はここで、「認める」っていうのはどうやるのか?という問題にあたると思います。
これは、私の場合にはイメージと言語化を用いて行います。
目を閉じて、「嘘つきな自分」をイメージすると、瞼の裏に自分の姿が見えてきます。
その自分は、邪悪、悪意、やましさ、はずかしさ、苦しさが表情に現れることでしょう。
それと同時に、イメージをしている自分の体の中には、何かの物理的な感覚が現れてきます。
例えば、お腹が重い、胸がモヤモヤする、肩に力が入って緊張している、とかそんな感じでしょう。
そのように、視覚イメージと体感覚が現れると、それらは「苦しい」「怖い」「恥ずかしい」「やましい」というような気持ちを喋りだします。
自分自身が喋るのではなく、視覚イメージと対感覚が喋りだします。
自分はただ聞くだけでOKで、これが言語化のプロセスです。
言語化が進んでいくと、視覚イメージはだんだん変わっていって、最終的には笑顔の自分の姿へと変わるでしょう。
同時にさっきまで体の中にあった気持ち悪い体感覚は、ぱっと消え去ります。
それこそ、「苦しい」「怖い」といった言葉を喋った瞬間に消えてゆきます。
これはなかなか面白い現象ですよね。
しかし、それ以上に面白いことは、「無意識のうちに嘘をつく自動的な仕組み」もこの時解除されることです。
つまり、このプロセスを行うことによって、嘘つきBさんは、正直Aさんへと生まれ変わるということです。
冒頭に、正直Aさんと、嘘つきBさんの違いは、「嘘つきであること」を認めているかどうかだと述べました。
このようなプロセスによって、「嘘つきであること」を認めてしまえば、2人の差異はなくなる、つまりBさんも正直な人になるわけです。
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