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手を放したくないのは、誰?

執筆者の写真: 北林陽児北林陽児

先日、面白い事例があったので、今日はその話を書きましょう。


3歳の子供をもつ母親からの相談を受けました。


内容は、子供を保育園に連れていっても手を放してくれず、毎朝、大泣きする子供を強引に引き離して保育士さんに渡しているということでした。


このような子供の問題は、親がセッションを受けても解決できないような気がするのですが、実はそれができちゃうんですね。


まずは、いつもように目を閉じていただいて、保育園で子供と別れるシーンをイメージしてもらいました。


すると、手を強く握られる体感覚が現れてきました。


それと同時に、頭や体にも体感覚が現れたので、それらを観察して言葉にしていきます。


「恥ずかしい」「早く行って」「毎朝辛い」といったような感じでした。


すると徐々に握られる感覚が緩んできて楽になってきます。


ここまでの現象は特別なことではなくて、私のセッションでは通常的なことです。


次に、その手を放してもらうことをイメージしてもらったところ、心拍が激しく高まるという現象が起きました。


そして、その心拍も深く観察していって、それを言葉にしていくと、不安、恐怖、手放したくないと言った方向の言葉が現れてきました。


この心拍は「言葉になる前の感情」ですから、言葉にしてしまえば感情が処理されて、心拍も平常になります。


この事例が意味していることは、保育園で手を放したくないのは、子供ではなく母親の方だったということです。


ちなみに、このセッションを行って翌日から、子供はスムーズに手を放して保育園にいけるようになったとご報告いただきました。



ところで、心理学実験で、視覚的断崖実験というものがあります。


これは、高い位置に設置したガラスの床を、赤ちゃんに歩かせるもので、赤ちゃんの視点からは断崖絶壁を歩くことになります。


当然、赤ちゃんは怖がって前へと進まないのですが、近くに母親がいるとどうなるでしょうか?


母親がニコニコ安心していると赤ちゃんは前へと進むのですが、母親が怖がっていると赤ちゃんは前へは進もうとしません。


このようなことを「社会的参照」といって、自分では判断しきれないときに周囲の反応をみて判断材料にするというものです。


前出の母親のケースでも、母親が手を放すことに不安や恐怖を持っていると、子供はそれを敏感に察知して、手を離さないということが起きていたと解釈できます。


従って、既出のようにして不安や恐怖を言葉にして母親の感情を処理するセッションを行えば、子供は喜んで手を放すようになるわけです。


このような問題では多くの場合、親の視点からすると子供の問題であるかのように思ってしまいます。


不安、恐怖、手放したくないというような気持ちが自分の中にあるとは気づいておらず、それらは子供が抱いているかのように錯覚してしまいます。


私自身は、このような不登校的な問題の経験は限定的なのですが、その中で言わせていただくと、親の問題を紐解けば、解決できるケースはかなり多いのだろうなと思っています。


前出の母親のように、一見すると子供の問題を、自分の問題として取り組むというのは、勇気ある素晴らしいことだと思います。


個人的には、子供の問題を解決するというのはやりがいのある仕事でして、若者の未来の助けになれることは、この仕事をしてきて良かったなと思う瞬間のひとつです。

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